manablogは月100〜150万円、閉じた2サイトは放置3〜4年 — マナブ氏が実名で出した数字
manablogは月100〜150万円・月50万PV。うち1記事が月約50万円を稼ぐ一方、月10〜15万円だった2サイトは放置3〜4年で閉鎖。実名公開された数字から収益の集中と減衰を読む。
執筆: Small Start 編集部(公開情報の要約+独自分析)
サイト名まで開示された収益公開
アフィリエイトの収益公開は、金額だけが独り歩きしやすい。どのサイトが、どれだけのPVで、いくら稼いだのか。3つが揃って初めて検証できる。マナブ(Manabu Bannai)氏が2018年4月に公開した記事は、その3点をサイト名込みで並べている。しかも2020年10月に追記が入り、うち2サイトのその後まで記録された。個人ブログの立ち上がりと終わり方を同じページで追える資料として、この記事の情報密度は高い。
公開された3サイトの内訳
| サイト | 月収益 | 月間PV | その後 |
|---|---|---|---|
| manablog(本体) | 月100〜150万円 | 50万PV | 継続 |
| e-Life | 月10〜15万円 | 10万PV | 2020年10月18日に閉鎖 |
| 世界へじゃんぷ | 月10〜15万円 | 15万PV | 2020年10月18日に閉鎖 |
3サイト合計で月120〜180万円、月間75万PVという規模になる。追記にはこう書かれている。「e-Lifeと世界へじゃんぷは、完全放置でアクセス低迷したので、現在は閉鎖しました放置でも、3〜4年ほどは、アクセスと収益が継続しました」。
収益源はアドセンスとアフィリエイトだが、注目すべきは金額よりも1記事あたりの偏りのほうである。
月50万円が1記事から出ていた
記事中で、プログラミングスクールを3社比較した1本について「上記記事は月間で50万くらいの収益が出ています」と明かされている。manablog本体の月収益が100〜150万円だから、サイト全体の3分の1から半分が、たった1記事に依存していたことになる。
その記事の構造について本人はこう書く。「[プログラミングスクール]というキーワードで3位くらいでして、それをググったユーザーに対して、適切な情報を届けているだけ」。アフィリエイトの法則も「適切なキーワードに対して、適切な情報+広告を提供するだけ」と一行にまとめている。
50万PVというトラフィックのうち、収益に直結しているのは検索意図が購買寄りの一部にすぎない。PVの総量ではなく、高単価キーワードで上位を取った記事が何本あるかで収益が決まる。月100万円という数字の内実はこれである。裏返せば、その1記事の順位が落ちれば収益の3〜5割が同時に消える。集中は効率であると同時に脆弱性でもある。
潮目が変わった二度の方向転換
この事例の軌道は、二度の方向転換で説明できる。いずれも本人の記述から特定できる。
一度目は、書きたいことから読者の疑問へ。 出発点は「もともとはブログが好きだったので、書きたいことを色々と書いていました」という状態だった。そこからアクセスが増え始め、「じゃあ、もっと増やすにはどうしたらいいんだろう?」と考えた結果、「あぁ、読者のためになる情報が大切なのか」という結論に至る。それ以降は読者を意識したSEO記事を増やし、「すると、見事に成功。アクセスは徐々に増えていくようになり」と続く。趣味の記録から検索需要への応答へ、書く対象を入れ替えたのが最初の転換である。
二度目は、無駄なプライドを捨てた地点。 月5〜10万円を稼ぐ中級者に向けて、本人は「無駄なプライドは捨てましょう」と書く。具体的には、広告を貼るのがダサいという感覚と、セルフブランディング先行の発想の2つを勘違いだと断じている。「広告を貼らなければ成果が出ませんし、ブランディングなんて結果を出せば勝手に付いてくるモノです」。さらに「成果が出そうなことはパクれ」として、先行者のサイトを見て真似することを推奨する。収益化の障壁が技術ではなく自意識にあったことを、当事者が明示している珍しい記述だ。
効かなかったのは「自分語り記事」
失敗も同じ記事に書かれている。SEO記事を書き続けた結果、「SEO記事に疲れました」「SEOに疲れた理由は、書きたいことが書けないから」という状態になり、自分語り記事を増やした時期があった。
結果は本人の言葉で「惨敗」である。「アクセスが全然増えず、SNS拡散してもスルーされるばかり」。すでに月100万円規模のサイトを持ち、SNSでも認知がある書き手ですら、検索需要のない記事はトラフィックを生まなかった。ここから引き出された整理が「まずは相手の疑問に答える→状況に応じて自分語りをする」という順序である。Googleを質問箱に見立て、質問に答えたうえで初めて自分の意見が届く、という説明になっている。
この失敗は、影響力があれば何を書いても読まれるという前提を、実測で否定している点に価値がある。
放置サイトは3〜4年で枯れた
閉鎖された2サイトの経過も、数字として使える。月10〜15万円・月10〜15万PVという、それ単体でも十分な規模のサイトが、更新を止めてから3〜4年でアクセスと収益を失い、閉鎖に至っている。
これはSEO資産の減衰速度の実測値である。検索流入は放っておいても即座には消えないが、永続もしない。3〜4年という猶予は、次の収益源を作るには足りるが、放置を前提に生活設計をするには短い。manablog本体が残り、2サイトが消えた差は、更新の継続以外にほとんど説明できない。
前提としての生活コストとリスク観
本人の生活設計も、この事業の安定性に組み込まれている。当時の居住地はバンコクで、「月の生活費は5万円くらい」。アルゴリズム変更でサイトが飛んだらどうするかという問いには「現在は月5万円で生活しているので、無限にやり直しができるかなと思っています」と答えている。貯金は仮想通貨とウェルスナビに配分している、とも書かれる。
月100万円の収益と月5万円の支出という組み合わせは、Googleのアルゴリズム変更という制御不能なリスクに対する保険として機能している。逆に言えば、固定費の高い環境で同じ事業をやると、同じリスクがそのまま生存リスクになる。この事例の再現可能性は、収益側だけでなく支出側の条件にも規定されている。
心理面の記述も正直だ。月30万円の時期のほうが幸福だったとし、「アフィリ収入が月100万を越える → お金に対する興味消失」という見出しまで置かれている。金額の増加が満足度に比例しないことを、当人が達成後に書いている。
何が移せて、何が移せないか
移せるのは、記事の作り方と目標の刻み方だ。本人が示す段階は明快である。完全初心者はまず月3万PV、初心者は月3万円の収益(「これで上位5%です」)、中級者は月10万円(「これで上位2%です」)、それ以降は作業量に比例する、という順序になっている。なお上位5%・2%・1%未満という比率は本人の見立てであり、統計に基づく数値ではない点は割り引く必要がある。
移しにくいのは時期である。プログラミングスクール関連のキーワードで3位を取り、1記事から月50万円を得たのは2018年前後の市場環境だ。同じジャンルは以降、企業メディアの参入とアルゴリズム変更で難度が大きく変わっている。当時のmanablogは、需要が急拡大していた領域に、実際にエンジニア経験を持つ書き手が実名で入った組み合わせで成立している。キーワードの選定だけを真似ても、この条件は再現できない。
もうひとつ移しにくいのは、収益の集中を許容する胆力だ。1記事に3〜5割を依存する状態は効率が良いが、その1本が落ちる日が来る前提で次を作り続けられるかどうかで結果は変わる。閉鎖された2サイトは、その「次」を作らなかった場合に何が起きるかを示している。
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出典
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